和紅茶って普通のダージリンとかと何が違うんですか?という質問を受けます。また、新聞や雑誌などにはだいたい「国産の紅茶は海外の紅茶と違い、まろやかで渋みがなく、ほのかな甘みを感じるのが特徴です」と書いてある場合がほとんです。
しかし、この説明は正しくありません。渋みや甘み云々は産地というよりも製法や品種の問題であり、和紅茶にも渋みを持ったものはたくさんありますし、インドやスリランカ、その他産地でもまろやかで甘みを持った紅茶はたくさん作られています。そういった紅茶があまり日本に入ってこないだけです。
私が思う和紅茶の特徴は、海外の紅茶と違い、生産者と我々消費者の距離感の違いです。
どういう事かといいますと、海外のアッサムやダージリンといった産地では多くの従業員を抱え、カンパニーとして経営されています。数百人、婆によっては数千人の働き手がいますので、ちゃんと戦略を立てて、どこにいくらでどれくらい売るか?を考えて経営しないとたちまち経営は行き詰まり、働き手さん達は食べる道を失います。そのため、市場を読みながら目指した品質を作り上げていきます。
逆に和紅茶の場合はほとんどが家族経営で行われており、その生産者一家の価値観、美意識、都合によって作られていきます。よってそこの親父さんが渋い紅茶を作りたい!と思えばそうなっていきますし、隣の人と全く違う物を作りたい、と思うかもしれません。緑茶と違い製法が確立している物でもありませんので、同じ地域の隣同士の家で色も形も香りも全く違うものが作られている、ということも珍しいことではありません。
つまり、生産者の生き方、好み、個性がそのまま表れるのが和紅茶の面白いところでもあり、外れを引く可能性が高い残念な理由でもあります。紅茶への情熱のなさがそのまま品質に出るというわけです。
その個性豊かさが和紅茶の特徴ですが、もちろん世界の中には同じような状況の国もあります。その茶園、農園別に小ロットでお茶が生産され、その個性を楽しめるような国は存在します。
しかし、その個性を我々が楽しむには大きな壁があります。言語と距離です。台湾のように比較的近い国でも産地の茶師を訪ね、それぞれの品質や考えの違いを味わう機会は専門家でも無い限り不可能でしょう。
しかし、日本であれば東京でしたら新幹線で1~2時間も行けば静岡がありますし、他の産地へも数時間で可能です。お茶屋さんそれぞれと話をして、お茶への思いや夢、こだわり、裏話をどれだけでも誰でも聞くことが出来ます。畑や作っているところも見ることも出来ます。そうして飲むお茶は、単に誰のお茶か分からないまま飲んでいた時とは全く違う物に感じるでしょう。なぜこの味なのか?何を楽しんでほしいのか?生産者さんの人生がそのまま投影されたお茶を飲んだとき、品質を飛び越えてそのお茶と人のファンになってしまうでしょう。
私が和紅茶の専門店を開きたい!と思った時のように。
作り手の顔が見え、畑が見え、生産者と同じ光景を見ながら楽しむ事が出来る。それが我々にとっての和紅茶の最大の魅力では無いでしょうか?
と、いうようなことを言っても、新聞や雑誌ではバッサリとカットされて「日本人に合う優しい味」でまとめられちゃいます。しょうがないですけどね~。さみしいなぁ。